阿部謹也自伝 (amazon.co.jp)
本来、自伝より、「「世間」とは何か」などを先に読んだ方がいいのかもしれませんが、偶然、手にすることができたので、まずは自伝から読んでみました。
内容は、幼少期から一橋大学で中世史を専攻するに至るまでの場面にはじまり、ドイツでの研究時代、学長になってからの文部省とのやりとり、といった流れになっています。
最後の一橋大学長になってからの文部省とのやりとりについては、交渉の様子が詳細に書かれていて、結構マニアックなので、後から考えればとばして読んでも良かったかもしれません。(阿部先生自身、ここの記述に興味のある人は限られるだろうというようなことをおっしゃっています・・・)
ただ、その学長になってからの部分を除いては、阿部先生が世間論を編み出すまでのパーソナルな系譜や、高村光太郎や金子光晴などの詩を取り上げ、人の内面というところから、歴史を見ようとした独特の歴史観など、非常に興味深く読むことができました。
高校生のときに、カトリックの修道院で暮らし、西洋の価値観に触れた経験、そして、その後、ドイツに渡り、ドイツの文書館で、ひたすら文献と向き合うとともに、小さな町の人々との交流を深めた経験。そして、そのような中で感じた、日本と西洋との違い。西洋の個人主義や市民社会と、日本の「世間」の違い。
私はドイツに暮らしたこともなく、ヨーロッパについて詳しいことは何もありませんが、阿部先生が感じた日本と西洋の違い。その皮膚感覚的なものは、何か分かるような気がします。本書の最後の部分で、阿部先生は金子光晴の長い詩を引用し、日本にある寂しさについて語られていますが、この寂しさは、戦後から何十年経った今でも消えていない、その指摘にも、うなずかざるを得ないのでした・・・
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