小松美彦「脳死・臓器移植の本当の話」(PHP新書)
現在、臓器移植法改正案についての議論がなされていることもあり、脳死という定義そのものに疑義を呈し、脳死者からの臓器摘出に警鐘を鳴らす小松氏の主張は大変興味深く読むことができました。
この小松氏は文章も上手く、事前に聞いていたとおり、大変説得力のある内容となっています。小松氏の主張にのっとると、脳死体からの臓器摘出そのものが難しいという帰結になるかと思いますが、私も自分自身はともかく、自分の家族が脳死のためにドナー候補となった場合、臓器摘出にYesとは言えないな・・・と感じました。
無論、臓器のレシピエント側から見た場合には、とりわけ臓器移植しか助かる道がない場合には、現状は改善されるべきだと映るでしょうし、そうした感情になることは否定できないと思います。ただ、テレビなどでしばしば取り上げられるレシピエント側からみた臓器移植の話と、ドナーやその家族の側からみた臓器摘出の問題というところには、すんなりとはいかない壁があるように見えます。
脳死の状態というのは、心臓も動いていて、また、ラズロ反射といって、体を動かすこともあるそうです(なので、臓器摘出のためにメスを入れた際に、ドナーが暴れ出すことがあるそうです・・・)。こうした状態を、ドナーの家族は「死」として受け入れられるのか。そして、ドナーの体から臓器を摘出することにYesと言えるのか。
現在、国会に提出されている臓器移植法改正案のうち河野案(いわゆるA案)によると、ドナーの臓器提供の意思が分からない場合には、家族の意思のみによって臓器摘出を行うかどうかが決定されることになります。しかし、ただでさえ身内が脳死となったという異常な心理状態の中で、さらに臓器摘出するかの決断を迫られるというのはあまりに酷ではないかという気がします。
また、そもそも、本人が自分の体から臓器摘出されることに対してどう思っているか分からない状況で、本人以外の家族の判断だけで、摘出を認めてしまうことができるのか?個人の自己決定が侵害されないか?
この他にも問題は山積していて、小松氏はそれらを一つ一つ明らかにしています。これらの問題を考えるにつけ、今国会に提出されている臓器移植法改正案については、もっと慎重に審議をして、国民のコンセンサスが得られる最善の案を得るべきではないのかという気がします。
私は小松氏の脳死や脳死体からの臓器摘出に対する疑念というのは、著書を読んで、よく理解できたのですが、ただ、その一方で、新しく出て来た問題として、WHOが海外渡航による臓器移植を認めないという方針を打ち出したことへの対応については、さらに考えを深める必要があるかと思います。
とりわけ、現行の臓器移植法では、15歳未満の子供からの臓器摘出が認められていないため、子供の移植をどうするかというのは大問題です(大人の臓器では大きすぎるそうです)。かといって、15歳未満の子供からの臓器摘出を増やせばいい、という単純な問題ではないので、もし仮に15歳未満からの子供の臓器摘出を認めるとしたら、どのような理由・根拠で認められるのか、取り返しのつかない問題が起きはしないか、深く突き詰める必要があります。
臓器移植に替わる医療技術が発展する、もしくは、万能細胞の技術が発展して臓器が作れるようになれば・・・と願わざるを得ないのですが、当面はなかなか難しいようです。決して他人事ではない問題なので、自分なりにこうした問題についてもよく考えを深めてみたいと思っています。
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