バーの結果は・・・わはははは・・・ということで。
結果がどうかは気にしませんが、自分を振り返って、やっぱり自分に甘いのかな・・と反省したりしています。
それからロースクールに行くことについて、ちょっと早いですが、異動の可能性含みということもあって、上司に話をしました。通うことについては前例もあるので特に反対されませんでした。異動のことは、1月4月の定期異動は数が少ないので、何にせよ夏まで待ってとのこと。小さなお子さんを持つ女性が多いようなところに行けたらと思っていたのですが、以前から私をもらいたいと言ってくれているところがあるそうで(ずっと話半分に聞いていたのですが、何人かの人から何度も聞くのでそうなのかな・・・と)そういうところにもらってもらうのも仕事人生としたら幸せなのかな・・・と考えたりしています。
何が最良の選択肢なのか「選ぶ」ということは、選択する時点では判断のつかないことが多いので、なかなか難しいですね。
辰巳のロースクール小論文講座でちょうど「選択の自由」というものについて習ったのですが、まさに今そんな感じです(笑)
選択の自由については、上智大LSの過去問で出題されています。その際の課題文は、東大・経済の安富歩先生が書かれた著書『生きるための経済学ー<選択の自由>からの脱却』(NHK出版 2008年)でした。
その中で引用されたミヒャエル・エンデの『自由の牢獄』という物語がとても印象的でした。。
どういう話かというと、前近代のバグダッドで、ある若者が、若さゆえに思い上がり、「人間には自由な意志があり、おのれの裁量で、あくまでもおのれのなかから善や悪を生み出す」と信じたことから、神の怒りをかいます。
そして、円形の壁に111もの同じ形の扉が均等に並んだ場所に閉じ込められてしまいます。
そこで、イブリース(イスラムの魔王)の声が男に聞こえてきました。
「ある扉の向こうには、血に飢えたライオンが待ち構えていて、おまえを引き裂いてしまうかもしれぬ。また、別の扉の向こうは、かぎりない愛の歓喜をおまえに与えんとする妖精で一杯の花園かもしれない。3つ目の扉の後ろには、大男の黒人奴隷が不気味に光る剣をかまえ、おまえの首を打ち落とそうとしているやもしれぬ・・・・」
この111の扉は、1つを開けた途端に他の扉はすべて永遠に閉じられてしまいます。しかも、どの扉もまったく同じで何の手がかりもありません。
絶望の思いでわめく男にイブリースはこう答えます。
「生まれてからこれまでというもの、おまえはあれやこれやと決めたときに、理由があると信じていた。しかし、真実のところ、おまえが期待することが本当に起こるかどうかは、一度たりとも予見できなかったのだ。おまえの理由というのは夢か妄想にすぎなかった。・・・」
結局、この男は、ひとつの扉を選ぶことができないまま、やがて疲れ果てて扉のことを考えないようになります。すると、扉の数が日を追うごとに減っていき、最後には扉は一つもなくなってしまいました。。
この話から、選択の自由をいかに考えるかについては、安富先生の著書を読むのが一番だとして、要は私が何を言いたいかというと、単に、それだけ選ぶっていうことは難しいっていうことですA^^; でも、安富先生もおっしゃっているように、だからと言って、この男のように選ばない(神の御意に従う)という訳にもいかないので、確率論じゃないですが、よく考えて後悔だけはしないように決めないとですね。。笑
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